今日は7月8日。
172年前のこの日、1853年の同じ日、アメリカ海軍の提督マシュー・ペリーが率いる四隻の黒塗りの蒸気軍艦が、江戸湾――現在の東京湾、浦賀の沖合に姿を現しました。
この出来事は日本史において「黒船来航」と呼ばれ、約220年にわたり続いてきた鎖国体制の終わりを象徴する、まさに歴史の転換点となった日です。
当時の日本にとって、「海の向こうの世界」は遥かに遠いものであり、情報も乏しく、想像の域を出ないものでした。鎖国によって制限された世界観のなかで、突如現れた巨大な軍艦の姿は、まさに「未知との遭遇」だったに違いありません。
蒸気を上げながら接近してくる黒塗りの船体は、「黒船(くろふね)」と呼ばれ、見る者に恐怖と驚愕、そしてなにより“何かが変わる”という感覚を与えたことでしょう。
ペリーがもたらしたのは、単なる「通商の要求」だけではありませんでした。
その背景には、欧米列強によるアジア進出の加速、そして太平洋航路の中継地点としての日本の重要性がありました。
日本側は当初、交渉を拒否しようとしましたが、その軍事力と国際情勢の波には逆らえず、翌1854年には日米和親条約が締結され、日本は正式に「開国」への第一歩を踏み出すこととなります。
この一連の出来事が意味するものは、単なる外交の進展ではなく、国の在り方そのものが根本から問われる時代への突入だったのです。
江戸幕府の権威は次第に揺らぎ、地方の藩や志士たちが「新しい日本」のかたちを模索し始めます。
やがてこの流れは明治維新へとつながり、日本は近代国家としての歩みを進めていくのです。
「変化を恐れるか、受け入れるか」
この問いに迫られた幕末の日本は、激しい混乱と痛みを伴いながらも、「学ぶ」という選択を取りました。
ペリー来航のわずか数年後には、全国に洋学塾が広がり、蘭学から英語、砲術、医学、航海術といった多彩な西洋の知識が取り入れられます。
武士や町人が活字や地球儀に目を輝かせ、「外の世界」を知ろうとしたその熱は、今の私たちにも通じる何かがあるように思います。
「黒船」は、恐ろしいものでもあり、希望でもありました。
それは、自分たちの常識が通じない「外側の世界」と向き合うということ。
内にこもっていた社会が、否応なく外へと開かれ、“日本人として”ではなく、“世界の中の一人として”どう生きるかが問われ始めた瞬間だったのです。
今日、私たちはインターネットを通じて世界中の情報に触れ、多様な価値観や文化と出会うことができます。
その「当たり前」の始まりが、まさにこの黒船来航の日にあったのだと思うと、深い感慨があります。
私自身もまた、日々の暮らしのなかで、知らず知らずのうちに「変化」に向き合っているのだと感じます。
それは大きなものでなくとも、考え方を変えることだったり、昨日までの自分と違う一歩を踏み出すことだったり。
そうした一つひとつが、自分自身の「開国」なのかもしれません。
7月8日というこの日に、改めて思うのは――
恐れながらも、世界に目を向けていった先人たちの勇気と、柔軟さ。
その精神を私も少しだけ、心のどこかで持ち続けていたいと願うのです。
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