清掃の日。掃除の思い出とラブドール処分

「Goods-Bye」からのお知らせ・ラブドール処分屋店主の雑記

今日9/24は清掃の日です。当店のラブドール処分という業務にも密接にかかわる日なのかもしれません。

1971年に「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」が施行されたことにちなみ、暮らしと街を整える意味をあらためて考える日でもあります。掃除は目に見える汚れを取り除く作業ですが、続けていると不思議と心の滞りまで少し軽くなる気がします。換気をして窓を開け、積み上がった紙袋や空き箱をたたみ、床を拭く。単純な動作の繰り返しなのに、終わるころには頭の中まで風通しがよくなる——清掃の日は、その実感を思い出させてくれます。

この「清掃の日」に思いを重ねて考えると、単なる日常的な掃除だけでなく、「暮らしの中で不要となった大きな存在を整理すること」もまた清掃の一部なのだと思います。そこで、私の仕事であるラブドール処分も、広い意味での清掃や整理整頓にあたるのではないかと感じています。

大阪で暮らしていると、街の掃除の光景にもよく出会います。朝の商店街でシャッター前を水打ちする方、町内の清掃日にほうきを片手に挨拶を交わすご近所さん。大袈裟ではない小さな動作が、日々の暮らしを支える基礎工事のような役割を果たしているのだと感じます。忙しさにかまけて後回しにしていた片付けを、今日はひとつだけでも前に進めよう——そんな小さな決意を胸に、引き出しの整理から始めました。要るもの、迷うもの、要らないもの。仕分けの基準は単純でも、手はしばしば止まります。「このレシートは何を買ったときだろう」「この箱はまた使うだろうか」。片付けとは、結局のところ昨日までの自分と小さく向き合う作業なのだと、いつも思います。

気持ちを整えるには、順番も大切です。出す、分ける、戻す、捨てる。迷いは棚上げしないで、期限を決めて再確認。今日できたことがほんの一歩でも、明日の自分の視界は少し開けます。清掃の日は「完璧にきれいにする日」ではなく、「動き出す日」と捉えると肩の力が抜けて良いのかもしれません。

子どものころ、年末の大掃除は家族の一大イベントでした。台所の棚を全部出して、新聞紙を広げ、母の横で小物を拭きながら「これはもう使わへんやろ?」と尋ねると、母は決まって「思い出は捨てんでええけど、物は循環させよ」と笑っていました。祖父は窓ガラスを担当で、最後に古い新聞で仕上げ拭きをすると、くもりがすっと消えて外の景色がくっきり見える。あの瞬間の爽快感は、今でも忘れられません。掃除そのものは少し面倒でも、終わったあとに温かいお茶を囲んで「よう頑張ったな」と言い合う、あの小さな達成感が、私の“片付け観”の原点になっています。大阪の冬の乾いた空気、ストーブの匂い、雑巾を絞る音——生活の音と匂いが、清掃の記憶とひとつに結びついて、今も背中を押してくれます。

暮らしの清掃は部屋だけでなく、心の引き出しを整えることでもあります。長く寄り添ってきた物事に区切りをつけるのは、掃除の中でもいちばん繊細な工程です。私が日々お手伝いしているラブドールの処分も、その「繊細な工程」にあたります。ラブドールは単なる所有物ではなく、時間や感情の記憶が宿る存在です。だからこそ、手放すという決断には勇気が要りますし、「人に知られず、丁寧に、安心して」進めたいというお気持ちは、とても自然なものだと考えています。

当方では、秘密厳守での受付・お引取り・最終処理までを通して、静かに寄り添う形で対応しております。梱包資材は特注の段ボールをご用意でき、サイズは自由設計が可能です(通常は約1週間で手配、繁忙・工場休業期は前後いたします)。送付先は従来の大阪市旭区に加え、守口市の拠点もご利用いただけます。どちらにお送りいただくかは決済完了後のご案内メールに記載の住所をご確認のうえ、そちらへご発送ください。誤送防止のため、メール記載の宛先指定にご協力をお願いいたします。

清掃の日に合わせて、部屋の一角だけでも、引き出し一段だけでも、そしてもし心の中に「いつか片付けたい」と感じておられることがあれば、その一歩を一緒に形にいたします。迷っておられる段階でも構いません。ご事情に合わせて、最小限の手間で進められる方法をご提案します。今日の小さな整理が、明日の暮らしの身軽さにつながりますように。私はいつもと同じように、静かに、ていねいに、お話をうかがう準備を整えております。

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