勤労感謝の日。ありがとうを伝える。

「Goods-Bye」からのお知らせ・ラブドール処分屋店主の雑記

今日は11月23日、勤労感謝の日です。「勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう日」として祝日になっていますが、正直なところ、子どもの頃の私は「お休みの日」という認識しか持っていませんでした。学校が休みで、家族がそろっている日。カレンダーの赤い字を見て、なんとなくうれしくなっていた程度だったように思います。

それでも、少し記憶をたどると、この日ならではの空気はたしかにありました。大阪で育った私は、朝から父が珍しくゆっくり新聞を読んでいて、母が「今日はお父さんも休みやから、どこか行こか」と明るく言っていた声をよく覚えています。普段は仕事に出ている大人が家にいる、それだけで部屋の雰囲気が違っていて、少しだけ特別な日だと感じていました。

小学生の頃、学校の授業で「勤労感謝の日は、お父さんやお母さんにありがとうを伝える日です」と教わり、先生に言われるまま、恥ずかしさをこらえながら「いつもありがとう」と書いた手紙を渡したことがあります。改めて口に出して言う勇気は出ず、食卓の上にそっと置いておいたのですが、夕方になって父がその紙を手に持ちながら、何でもないような顔で「おう、ありがとな」と言ったときのことは、今でも鮮明に思い出します。母は何も言いませんでしたが、食器を洗う手つきがどこか軽くなっていたような気がします。

そのころは、「働く」ということがどういうことなのか、まだよく分かっていませんでした。朝起きたら大人は家からいなくなり、夕方になると疲れた顔で帰ってくる。その途中には、長い長い時間が広がっているのだろうとは思いながら、その中身について具体的に想像することはできませんでした。ただ、「働いてくれているからご飯が食べられる」「働いてくれているからこの生活がある」と何度も聞かされてきた言葉だけが、ぼんやりと頭に残っていました。

大人になり、自分自身も働く立場になってから、勤労感謝の日の意味は少しずつ変わってきました。誰かに感謝する日であると同時に、「自分の働き方を振り返る日」でもあると感じるようになったからです。忙しさに追われていると、つい「働くこと=しんどいこと」としてしか見られない瞬間もあります。それでも、ふと立ち止まってみれば、仕事を通じて誰かの役に立てていることや、自分なりの役割を担っていることに、静かな誇りを感じることもあります。

大阪の街を歩いていても、勤労感謝の日は「働く人たち」に目が向く一日です。祝日とはいえ、駅では電車が動き、スーパーは開き、コンビニには明かりが灯っています。誰かが働いてくれているからこそ、私たちは休むことができる。そのことに思いを馳せると、「みんなで休む」ことは現実には難しくても、「誰かが働いているあいだに、自分は心と体を整える」という循環のようなものが見えてきます。

最近、特に感じるのは、「休むこと」もまた大切な勤労の一部だということです。無理を重ねて燃え尽きてしまっては、長くは続きません。適度に休み、体調を整え、自分の心をメンテナンスすることも、働き続けるために欠かせません。勤労感謝の日は、「これまでよく頑張ってきた」と自分に言ってあげると同時に、「これからも無理なく続けていくために、どう休むか」という視点を持つ日でもあるのだと思います。

また、仕事は何も「会社に行くこと」だけではありません。家事、育児、介護、地域の活動など、名前のつきにくい無数の「働き」が、毎日の生活を支えています。子どもの頃には見えていなかった、台所での繰り返しの作業や、ゴミ出しや片付け、家計をやりくりすること、学校や近所づきあいの段取りなども、すべて立派な「勤労」です。あらためて振り返ると、自分が気づかないところで、どれほど多くの働きに支えられてきたかと、少し胸が熱くなります。

思い返せば、七五三や入学式、卒業式といった節目の日にも、いつも大人たちの「働き」がありました。スーツを用意し、写真の段取りをし、早起きしてお弁当を作り、慣れない場所で緊張しながらも笑顔で立ち会ってくれる。子どもから見ると、それはすべて「当たり前」に見えていましたが、大人になった今、あの日の一枚の写真の裏側に、どれだけの時間と労力があったのかを想像できるようになってきました。勤労感謝の日は、そうした「見えない働き」にも光を当てるきっかけをくれる日です。

今日という日を、私は静かに過ごしています。特別なイベントがあるわけではありませんが、ふだんより少し丁寧に、身の回りのものを整えました。使い古した文房具を処分し、机の上を拭き、湯のみを新しいものに替えてみる。そんな小さな行動のひとつひとつが、自分の働き方や暮らし方を少しずつ良い方向へ整えていくための「準備」のようにも感じられます。

勤労感謝の日だからこそ、「働いてくれている誰か」に思いを馳せると同時に、「今まで働いてきた自分」にも、少し優しい言葉をかけてみようと思います。よく頑張ってきたと認め、これからも続けていくために、どこかでちゃんと休もうと決める。そんな、ささやかな区切りを心の中につけることができれば、この祝日はとても意味深い一日になるのではないかと感じています。

そして明日からまた、それぞれの場所で、それぞれの「勤労」が続いていきます。お互いの働きを当たり前と思いすぎず、ときどき感謝のことばを交換し合いながら、日々の暮らしを支え合っていけたらいいなと思いながら、この日をゆっくりと締めくくりたいと思います。

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