「空が霞んだ日」―光化学スモッグの記憶と、今なお続く空気の問題に寄せて

今日は7月18日。
1970年のこの日、東京都杉並区の中学校で、生徒が目の痛みや咳、吐き気を訴えるという異常が起こり、後に「日本初の光化学スモッグによる健康被害」として記録されました。
この出来事をきっかけに「光化学スモッグ注意報」という言葉が社会に浸透し、日本の環境対策の第一歩とも言える動きが本格化していきます。

思えば、私が子どもの頃のことですが。
昭和の終わりから平成の初めにかけて、まだ大気汚染の名残があちこちにあった時代、私の通う小学校でも「今日はスモッグ注意報が出たので、校庭には出ません」と放送が入り、朝から予定されていた体育の授業が体育館に変更されたことを思い出します。

あの頃は、どうして「空気に注意」なんてことがあるのだろう、と疑問に感じていました。
雲ひとつない晴れの日でも、「今日は外に出ないでください」と言われるのは、子どもながらに妙に不自然に思えたのです。
それでも、ぼんやりと空を見上げれば、いつもより視界が白く霞んでいるように見えたり、遠くの建物の輪郭が滲んでいるように感じられたりして、子ども心に「ああ、今日はそういう日なんだ」と納得していたものでした。

自分でも不思議だったのは、目がチカチカするような、喉が少しヒリヒリするような、言葉にはできないけれど確かに何かが「違う」と感じられる、そんな感覚が確かにあったことです。
科学的な知識がまだ身についていなかった年齢でも、「空気の質が変わる」という現象を体感として覚えているのは、それだけ自然と密接に暮らしていた証でもあったのかもしれません。

あれから時代は移り、ディーゼル車の排ガス規制や、産業排出への規制、さらには自動車のエコ化などが進み、都市部の空気は確かに改善されました。
けれど今でも、真夏の夕方など、太陽が西に傾く頃に車通りの多い道路を歩くと、あの頃と似たような匂いを感じることがあります。
まるで微かに焦げたような、鼻の奥に刺さるような不快感。
そして、「これがまた、あの光化学スモッグというものなのだろうか」と、記憶が蘇るのです。

現代では、PM2.5や黄砂、さらにはヒートアイランド現象の影響も加わり、大気環境の問題は形を変えて今もなお続いています。
地球全体の気候変動という視点で見れば、「目に見えない空気の変化」が、どれほど私たちの暮らしに密接に関わっているのかを痛感させられます。

空気は目に見えず、声もなく、当たり前のようにそこにあります。
だからこそ、私たちはそれを「当然のもの」として扱ってしまいがちです。
けれど、ほんの少しでもその質が損なわれれば、たちまち呼吸がつらくなり、日常が制限され、健康を脅かされることになるのです。

今、振り返ってみて思うのは、あの日「今日は外に出ないように」という校内放送に、私たちはきちんと従っていたということです。
不満を言いながらも、誰もそれに逆らわなかった。
それはきっと、誰かの呼吸や命を守るために、小さな我慢を積み重ねていたということなのかもしれません。

未来を生きる子どもたちに、透明で清潔な空気を残していくこと。
それはきっと、私たち大人に託された、静かな使命のひとつです。
今日のこの「光化学スモッグの日」に、遠い記憶とともに、あらためてその責任の重さと、願いの深さを感じた一日でした。

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