本日、7月21日はグアム解放記念日――
1944年のこの日、太平洋戦争中に日本軍の占領下にあったグアム島が、アメリカ軍によって奪還され、解放された日とされています。
グアムではこの日を今でも盛大に祝い、戦争の記憶と平和の尊さを未来へと語り継いでいます。
戦争という時間、島という舞台
私にとってグアムという場所は、まず「観光地」としての印象が先にありました。
穏やかな海、開放的な空、陽気な人々、そして免税店――。
けれど大学生のとき、ある講義で太平洋戦争の島嶼戦の記録を読んだことがありました。
サイパンやテニアン、そしてこのグアムも、その「美しい島」の奥底に、激しい戦闘と多くの命の犠牲という重い記憶が眠っていることを知りました。
特に、グアムにおいては現地のチャモロ人住民たちが戦闘の渦に巻き込まれ、日本軍による強制労働や迫害、アメリカ軍の攻撃との狭間で命を失うなど、多くの悲劇が記録に残されています。
軍人だけでなく、何の罪もない市民までもが戦争の犠牲者となるという現実に、私は言葉を失いました。
「解放」とは、ただ元に戻ることではない
1944年7月21日、アメリカ軍による上陸作戦によって、日本の占領は終わり、島には再びアメリカの旗が掲げられました。
しかしその「解放」の意味とは、単に国が変わるということではなく、そこに暮らす人々の暮らしが少しずつ「日常」へと戻るための長い道のりの始まりでもあったのでしょう。
現地ではこの日を**「Liberation Day(解放の日)」**と呼び、戦争で亡くなった人々への追悼とともに、平和への誓いを新たにする日とされています。
パレードや慰霊祭に子どもたちが参加し、地域全体で記憶をつなごうとするその姿勢に、私は深い敬意を感じます。
遠い島から考える、私たちの平和
大阪という内陸の街に暮らしていると、戦争の記憶を身近に感じる機会は少ないかもしれません。
けれど、海の向こうの島で、今日のような日を迎えている人々がいると知るだけでも、「平和は世界のどこかにだけ存在するものではない」という気づきが生まれます。
私たちが当たり前のように過ごしているこの一日も、過去の誰かの犠牲と努力の上に成り立っているのだという事実。
それを意識できるかどうかが、「現代を生きる大人」としての姿勢の一つではないかと感じます。
記憶を超えて、心を寄せる
今日という日、私は戦地を訪れることも、記念式典に参加することもできません。
けれど、自室の窓から見える青空と、ニュースに映る島の人々の笑顔に想いを馳せることはできます。
そして、今ここで静かに祈ることもできます。
「戦争のない日々が、どうか当たり前でありますように」
「犠牲になった全ての命が、安らかでありますように」
平和は、決して過去の話ではありません。
私たち一人ひとりが、日々の中で大切に守っていくものです。
遠い島の記念日が、こうして私の心を揺さぶり、静かな決意を促してくれる――
それこそが記念日が持つ本当の力なのだと、今日はあらためて感じています。
本日も、静かに手を合わせながら、日常の尊さを胸に過ごしたいと思います。
日々、多くのお客様からさまざまなご相談をいただきますが、そこに共通しているのは「物を手放すことの重み」です。
ラブドールという存在は、単なる道具や所有物という枠を超え、長く時間を共に過ごした“思い出のかたち”として心に残る方も多くいらっしゃいます。
戦争の記憶が人々の中で静かに語り継がれていくように、ラブドールとの日々もまた、誰かの人生の一部であり、感情のこもった時間そのものです。
それを処分するという行為には、決して軽く扱うことのできない「感情の節目」があります。
私はその気持ちを丁寧に受けとめながら、安心して手放していただけるよう、秘密厳守・全国対応でお手伝いしております。
また、処分用の段ボールはサイズの指定も可能な特注品をご用意しております。
配送までに約一週間ほどお時間をいただきますが、どんな形状のラブドールであっても、それぞれに合わせて対応可能です。
ご自身の環境やお気持ちに無理のない形で進めていただけるよう、対話を大切にしながら、ひとつひとつ丁寧に承っております。
ラブドールの処分に迷われている方、あるいは誰にも相談できずお困りの方も、どうかご安心ください。
それは「忘れるため」ではなく、「心の整理をつけるため」の大切な一歩です。
私は、その一歩に寄り添える存在でありたいと願いながら、今日も静かにこの仕事に向き合っております。
どうか、どなた様も、気負わず、まずはお声をおかけくださいませ。
本日も、ラブドール処分のご相談・ご依頼を、心よりお待ち申し上げております。