今日は10月31日、ハロウィンです。ここ数年で、街の装いはすっかりこの時期の風物詩になりました。商店街のオレンジ色の飾り、カボチャの提灯、黒猫やコウモリの切り抜き。夕方になると、小さな子どもたちが手作りのマントや帽子を身につけて歩く姿を見かけ、つい足を止めてしまいます。大阪の街でも、にぎやかな場所では仮装パレードが行われ、住宅街では近所同士でルールを決めて「トリック・オア・トリート」を楽しむところが増えました。騒がしさと温かさが入り混じる一日です。
ハロウィンは、もともと収穫を祝い、季節の節目に「境界」がゆるむ夜とされています。私はこの「境界」という言葉が好きです。昼と夜、暑さと寒さ、過ぎた季節とこれから来る季節、人と人の間合い。年中行事の多くは、そうした境目で気持ちを整えるための仕組みなのだろうと思います。仮装は、その境目を一時的に軽やかに越えるための工夫のようにも感じます。ふだんの自分から半歩だけ離れて、別の表情を試してみる。誰かになりきるというより、いつも表に出さない要素を短い時間だけ解放してみる。そうして戻ってきた自分は、ほんの少しだけ輪郭がはっきりしている気がします。
仮装を見ていると、「見た目」と「中身」の関係について考えます。マスクや衣装で外側を変えても、その人の佇まいから伝わるものは消えません。むしろ、ふだんは言葉にしない人柄がにじむことがあります。内気な子が勇気を出して合言葉を言い切ったときの誇らしげな顔、照れ屋の大人が思い切って被り物をかぶったときの解放感。外側を変える遊びは、内側の小さな一歩を後押しするきっかけになるのだと感じます。
安全面のことも、この日に考えておきたい要素です。暗くなるのが早く、歩道が混み合い、視界が遮られることもあります。子どもたちが行き来する時間帯は、ドライバーも歩行者も互いに気を配る必要がありますし、訪問のルールや行き先の共有など、家庭ごとの決め事が生きてきます。商店街では店先に置いたバケツにお菓子を入れて「セルフでどうぞ」という配慮を見かけ、なるほどと思いました。接触を減らしつつ、楽しみは残す。行事は状況に合わせて形を更新できるのだと、ささやかな工夫から学びます。
秋が深まる夜は、灯りの色が心地よく感じられます。カボチャのランタンも、玄関灯も、商店の軒先のライトも、どれもほんの少しだけ温度の高い光で、足下をやさしく照らしてくれます。帰り道に遠くからその光を見つけると、安堵が先にやって来ます。灯りは、そこに誰かがいて、迎え入れる準備が整っている合図なのだと、季節の行事を通じて実感します。
今年は自宅でも、小さな飾りをひとつだけ増やしました。玄関の隅に置いた小さなカボチャに、紙で切った三角の目と口。手を動かしているうちに、子どもの頃の工作の記憶が戻ってきて、無心にハサミを動かしました。ほんの数百円の材料でも、季節の手触りは確かに生まれます。飾りを置いたあと、部屋の電気を少し落として眺めると、いつもの空間に違う空気が流れました。行事の良さは、日常の中に小さな「異国」をつくるところにもあるのだと思います。
ハロウィンの夜が教えてくれるのは、「変わってもいい」という許可と、「戻ってきていい」という安心です。装いを変え、声を変え、振る舞いを変えてみる。楽しかったら少し残し、合わなければ静かに元へ戻す。その繰り返しで、私たちはふだんの自分を更新していけます。行事は、暮らしのアップデートの練習でもあるのでしょう。
夜が更けるころ、遠くの笑い声が少しずつ減って、通りが静かになっていきます。玄関の飾りの灯りを消し、ドアの鍵を確かめ、深呼吸をひとつ。にぎやかな余韻と、静かな安堵が同居するのが、この日の好きなところです。明日からはまた、いつもの時間が始まります。けれども、境界の夜を通り抜けたあとなら、ほんの少しだけ視界が広がっている。そう信じて、今日は早めに休もうと思います。
「変わってもいい」という許可と、「戻ってきていい」という安心は、ラブドールの処分にも大切だと考えています。手放そうと思った気持ちが翌日には揺れたり、いざ箱を用意したら手が止まったり――それは自然なことです。結論を急がず、いったん保留にするのも、気持ちが整ってから再開するのも、どちらも正解です。私へのご連絡も、見積りだけ・手順だけの確認で構いません。やり取りを途中で止めても大丈夫ですし、しばらく経ってから「やっぱりお願いします」と戻ってきていただくのも、いつでも歓迎いたします。
実務面では、秘密厳守で対応し、サイズに合わせた特注段ボールの手配が可能です(目安の納期は約1週間)。受け取り拠点は大阪市旭区に加えて守口市にもございますが、どちらに送るかは決済後にお届けするご案内メールに記載の住所が正式な指定先となります。誤送防止のため、必ずその宛先をご確認ください。梱包が不安な場合は、写真付きの簡易ガイドもお渡しします。
手放すことは、忘れることではありません。思い出に区切りをつけて、身軽さを取り戻すための一歩です。迷いながらで大丈夫です。変わってもよく、戻ってきてもよい――その前提で、あなたの速度に合わせて伴走いたします。

 
  
  
  
  