クリスマスの灯りに心の明かりを重ねる――街のイルミネーション、贈り物の本当の意味、そして静かな夜に整える家の祈りと食卓と音楽のこと

「Goods-Bye」からのお知らせ・ラブドール処分屋店主の雑記

大阪の街は、夕方になると一層きらびやかになります。通りの街路樹に灯った小さなLEDの粒が、冷たい空気のなかで静かに瞬き、ショーウィンドウには赤や緑の差し色。普段より少しだけ足取りが速い人、写真を撮り合う人、手袋越しに温かい紙コップを持つ人。クリスマスの灯りは、どれも控えめでいて、見る側の心の温度を少し上げてくれる不思議な力があります。

灯りを眺めていると、「贈り物」のことを考えます。包装紙の柄やリボンの結び方よりも、その包みを手渡すまでに相手を思い浮かべる時間――あの“準備の時間”こそが、贈り物の核なのだろうと感じます。何を渡すかはもちろん大切ですが、「この人は今、何を受け取ったら少し楽になるだろう」「どんな言葉を添えたら、今日という日に体温が戻るだろう」と考える、その想像のプロセスが、贈る側の私たちを少しやさしく整えます。結果が同じであっても、そこへ至る道筋が心に残る――クリスマスは、そのことを静かに教えてくれる日です。

日常と行事が交差するこの日は、家で過ごす時間もいつもより丁寧になります。玄関の小さな飾りを整え、テーブルクロスを一枚重ね、温かいスープを用意し、白い皿の余白に緑と赤を少し足す。特別なごちそうでなくてよく、例えば鶏肉の香草焼きと、じゃがいものピュレ、カリフラワーのポタージュに胡椒をひと挽き。最後に柑橘の皮をほんの少し削れば、湯気の向こうに“いつもの部屋ではない”気配が生まれます。行事の良さは、日常を劇的に変えるのではなく、日常の輪郭を少しやわらかくするところにあるのだと思います。

音楽は、夜を仕立てる静かな道具です。賑やかな曲もいいのですが、今夜は弦楽とピアノの穏やかなクリスマス・キャロルを小さめの音で。キッチンから漏れる鍋の音や、器が当たるコトンという音と混ざり合って、部屋の温度が一段落ち着きます。曲が変わるたびに呼吸が深くなり、テーブルに手を置く時間が少し長くなる。行事の音楽は、祈りと同じくらい“速度”を整えるのだと感じます。

祈りと言えば、宗教的な意味合いに限らず、今日の私にとっては「感謝を言葉にする小さな所作」のこと。テーブルにつく前に、今年を支えてくれた人や働き、目に見えない無数の手間に心の中で「ありがとう」と言葉を置く。長くなくてよく、箇条書きでも構いません。顔が浮かぶ人の数だけ、夜の灯りは少し強くなります。もし余裕があれば、ひとつだけメッセージを送るのも良い。たった一行の「ありがとう」は、想像以上に遠くまで届くものです。

贈り物の意味をもう少し。物そのものより、「ここにいていい」と伝える態度が、人を救うことがあります。予定が合わなくて会えない相手に、手紙や音声、写真一枚でもよいから“いまの自分の時間”を切り取って渡す。受け取る側は、品物よりも「確かに思い出してもらえた」という事実に体温を取り戻すのだと思います。灯りが少ない季節だからこそ、言葉の灯りを惜しまない。クリスマスは、その練習日でもあります。

夜が更けるほどに、街の灯りは静まり、家の灯りが主役になります。食後の食卓を片づけ、マグに温かい飲み物を注ぎ、部屋の照明を一段落とす。窓の外に残るイルミネーションの残光と、室内のランプの円い明かりが重なる瞬間、行事と日常の境目がすっと溶けます。大きな出来事がなくても、静かな満足が胸のどこかに灯って、呼吸が整う。こういう夜を年にいくつ持てるかが、暮らしの質を決めるのかもしれません。

最後に、来年の自分へ贈るささやかなメモを。

  1. 来年のクリスマスにも読み返したい本を一冊、棚の見える場所に。
  2. 12月は“予定を詰めない日”を二日、最初に確保しておく。
  3. ありがとうを一人増やす――今年出会った誰かへ、短いお礼を。

行事は今日で終わりますが、贈り物の意味は明日以降のふるまいに残ります。街の灯りが片づけられても、心の明かりはそのまま。今夜の温度を少し持ち帰って、年の瀬の忙しさの中にも、小さな余白とやさしさを置いておきたいと思います。メリークリスマス。

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