成人の日に思う――新成人を祝う節目の力と、年明けの街で見かけた晴れ着の記憶

「Goods-Bye」からのお知らせ・ラブドール処分屋店主の雑記

今日は成人の日。年明けの空気がまだ残る中で、街には少しだけ華やかな色が増える日です。大阪の朝は冷え込みが強く、吐く息が白くなりましたが、それでも駅へ向かう道で振袖姿の人を見かけると、こちらまで気持ちが明るくなるような気がします。遠目にも分かる鮮やかな色、髪飾りのきらめき、草履で歩く慎重な足取り。誰かの節目が、街全体の温度を少しだけ上げているようでした。

成人の日は、もちろん「二十歳を祝う日」ですが、それ以上に「節目の力」を思い出させてくれる日でもあります。節目とは、必ずしも人生を劇的に変える魔法ではありません。けれど、立ち止まって振り返り、これから先を考える小さな踊り場としての意味が確かにあります。人生は放っておくと、日常の連続にのみ込まれてしまいます。だからこそ、節目というものは、私たちが自分自身の時間を見失わないための“杭”のような役割を果たしているのだと思います。

私は大阪で育ちましたが、自分が成人式を迎えたころのことは、今でも不思議な手触りで思い出されます。あのころは、今ほど写真を撮る文化が一般的ではなかった分、記憶の中の映像が妙に鮮やかです。寒い朝、まだ暗いうちに起きて、会場へ向かう道の空気が刺すように冷たかったこと。駅やバス停に同じ世代の人が集まり、どこか照れくさそうにしながらも、少しだけ誇らしげな表情をしていたこと。自分の中には「大人になった」という実感がそれほどないのに、周りの空気だけが「今日は特別」と告げている。そのアンバランスさが、かえって印象に残っています。

当時の自分は、未来について今ほど現実的に考えていなかったように思います。世の中の仕組みも、働くことの重みも、責任という言葉の実感も、まだ薄かった。それでも成人式は、社会が私たちに対して「あなたはこれから自分で歩く人ですよ」と宣言してくれる、ある種の通過儀礼だったのでしょう。大人になるというのは、何かの資格を得ること以上に、自分の行動の結果を引き受けていくことです。その最初の門の前に立たされたのが、成人の日だったのかもしれません。

一方で、成人の日は、本人だけの節目ではありません。むしろ親や家族にとって、節目の重みはさらに大きいのではないでしょうか。今日見かけた振袖姿の横には、少し離れて歩く親御さんの姿がありました。写真を撮る位置を探し、寒くないかと気にかけ、袖が汚れないよう気を配る。その表情には、嬉しさと安堵が混ざっていました。子どもの成長は、ある日突然起きるものではなく、長い年月をかけて積み重なっていきます。成人の日は、その積み重ねが一旦形になる日。本人の晴れ姿はもちろんですが、親の表情のほうが胸に迫ることもあります。

大阪という街は、人の節目がよく似合う街だとも思います。にぎやかな通り、ビルの影、商店街のざわめき。そこに振袖やスーツ姿の若者が混ざると、都市が少しだけ“祝祭”の顔になります。普段なら足早に通り過ぎる道も、今日は少しゆっくり歩いてしまいました。冷たい空気の中で、赤や金や白の色がやけに美しく見えたからです。

成人の日に思うのは、節目の価値は「その日だけ」にあるのではなく、その前後の過ごし方で決まっていく、ということです。式典に参加することも大切ですが、今日をきっかけに、これまでの自分を振り返り、これからの暮らしや働き方、人との付き合い方を少しだけ整えていく。その小さな修正が積み重なることで、「大人になっていく」という実感が、あとから追いついてくるのだと思います。

また、成人の日は、年齢に関係なく「自分の節目」を思い出す日でもあります。私たちは二十歳を過ぎても、何度も節目を迎えます。就職、独立、引っ越し、結婚、家族のこと、そして別れ。節目は、若者だけにあるものではありません。年を重ねてからの節目ほど、静かで、見えにくくて、でも確かに重い。だからこそ、成人の日の華やかさは、私たちに「節目を祝っていい」「区切りをつけていい」と許可を出してくれるようにも感じます。

今日という日は、未来に向かって歩き始める若い人たちを祝う日であると同時に、私自身が「これからの一年をどう歩くか」を考える日でもありました。元旦ほど大きな決意をするわけではなく、でも、年明けの慌ただしさが少し落ち着き、現実の生活が戻り始める今だからこそ、自分の歩幅を決めやすい気がします。急ぎすぎない、無理をしすぎない、でも止まりすぎない。節目の力を借りて、今年の自分を少しずつ整えていけたらと思います。

新成人の皆さまには、心からお祝い申し上げます。これから先、思い通りにいかない日もあるはずですし、迷うことも増えるかもしれません。それでも、節目を越えていくたび、人は少しずつ強く、やさしくなっていきます。成人の日の晴れ姿は、その第一歩として、きっと長く心に残るはずです。

大阪の冬空の下で見かけた振袖の色を思い出しながら、私もまた、自分なりの節目を大切にしていこうと思います。今日という日が、未来へ向かう人たちにとっても、今を生きる私たちにとっても、良い区切りとなりますように。

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