今日は節分です。暦の上では、今日が季節の分かれ目で、明日からは立春。まだまだ寒さは厳しく、体感としてはとても「春」とは言えませんが、それでも節分という言葉には、不思議と気持ちを切り替える力があります。「ここまで」と「ここから」をはっきり区切ってくれる日。年末年始とは違う、もう一段階深いリセットのようにも感じます。
大阪の街を歩くと、スーパーや商店には恵方巻が並び、豆まき用の大豆が袋詰めで売られていました。毎年の光景ですが、見かけるたびに「今年もこの時期まで来たのだな」と実感します。節分は派手なお祭りではありませんが、生活の中にしっかり根付いた行事で、忙しい日々の中でも季節の流れを思い出させてくれます。
子どもの頃の節分の記憶は、とにかく賑やかでした。家の中で豆をまき、「鬼は外、福は内」と大声で叫ぶ。鬼役はたいてい父親か年上のきょうだいで、わざとらしく驚いたり、逃げたりするのが分かっていても、なぜか楽しかった。豆が床に転がり、それを拾い集める母の後ろ姿まで含めて、節分の一部だったように思います。豆を年の数だけ食べるという習慣も、「こんなに食べられるようになった」と成長を感じさせる小さな儀式でした。
大人になると、豆まきを本気ですることは少なくなりましたが、節分の意味はむしろ今のほうがよく分かります。節分は、鬼を追い払う日というより、「自分の中の滞りを外に出す日」なのかもしれません。うまくいかなかったこと、引きずっている気持ち、つい後回しにしてきたこと。そうしたものを「鬼」と見立てて、一度外に出す。その代わりに、少しでも穏やかな気持ちや、前向きな空気を迎え入れる。とても実用的な行事だと感じます。
今年の節分は、静かに過ごしました。豆を少し用意し、声を出さずに、心の中で「鬼は外」と唱える。大げさなことをしなくても、「区切りをつける」と意識するだけで、気持ちは整っていきます。節分は、外向きの行事でありながら、実はとても内向きな時間をくれる日なのだと思います。
大阪に暮らしていると、季節の変化が分かりやすい反面、忙しさに流されてしまうことも多いです。年が明けて一か月が過ぎ、仕事や生活のリズムも固まりつつありますが、同時に小さな疲れも溜まってきます。節分は、そのタイミングで一度立ち止まるための合図のようです。ここで一度、無理なペースを見直し、力の入れ方を調整する。それだけで、立春以降の過ごし方が少し楽になる気がします。
恵方巻についても、最近は考え方が変わってきました。昔は「決まった方角を向いて、黙って一本丸かじり」というルールが強調されていましたが、今は自分なりの形で楽しめばいいと思っています。食べきれる量を、落ち着いて味わう。そのほうが、福を迎えるという本来の意味に近いように感じます。行事は守ることよりも、続けることのほうが大切なのだと思います。
節分を過ぎると、暦の上では春。すぐに暖かくなるわけではありませんが、「これから光が増えていく」という見通しが生まれます。冬の間に溜め込んだものを少しずつ外に出し、身軽になっていく準備期間。今日の豆まきは、その第一歩なのかもしれません。
今年も、完璧にうまくいくことばかりではないでしょう。それでも、節分という節目があることで、「やり直していい」「切り替えていい」という許可をもらえる気がします。そう考えると、この静かな行事が、何百年も続いてきた理由が少し分かるような気がしました。
今日は節分。
派手ではなくても、確かな区切りの日。
この小さな切り替えを大切にしながら、立春からの時間を、無理なく進んでいきたいと思います。

