国際母語デーに思う――自分の言葉で生きるということ、原点に立ち返るということ

「Goods-Bye」からのお知らせ・ラブドール処分屋店主の雑記

今日は国際母語デーです。
世界には数えきれないほどの言語があり、その一つひとつに、その土地の歴史や暮らし、祈りや願いが込められているといいます。母語とは、最初に覚えた言葉であり、叱られた言葉であり、安心して眠りについたときに耳に残っている言葉でもあるのでしょう。

私にとっての母語は、日本語であり、その中でも大阪の空気を含んだ言葉です。
子どもの頃、商店街で交わされるやわらかい掛け合い、家の中で飛び交う少し砕けた言い回し。標準語ではない響きの中に、体温のようなものを感じていました。言葉は情報を伝える道具であると同時に、居場所をつくるものでもあるのだと思います。

大人になるにつれ、場面によって言葉を選ぶことが増えました。
仕事の場では整えた言葉を使い、文章を書くときには誤解のない表現を心がける。便利で正確な言葉を選ぶほど、どこかで自分の本来の声を薄めているのではないかと感じる瞬間もあります。

けれど、母語というのは単に話し方の問題ではなく、「どんな感情をどんなリズムで受け止めてきたか」という記憶の積み重ねなのかもしれません。
寒い朝に「さむいなあ」とこぼす声の温度。
うまくいかない日に「しゃあない」とつぶやく潔さ。
そうした短い言葉の中に、自分なりの生き方の癖が滲んでいるように思います。

最近、暮らしの中で「整える」ということを意識するようになりました。
部屋の配置を少し変える。
仕事の手順を見直す。
人との距離感を調整する。
そのとき、言葉もまた整えられているのだと気づきます。余計な飾りを外し、過剰な説明を減らし、自分の声に近い表現を選び直す。それは小さなリセットのような作業です。

大阪の夕方は、まだ冷たい風が吹いています。それでも、空の色はどこか柔らかく、冬の終わりを知らせる光を含んでいました。季節がゆっくりと移ろうように、言葉との付き合い方も少しずつ変わっていけばいいのだと思います。

母語を守るという大きなテーマは、私一人の力でどうにかできるものではありません。ただ、自分の中にある原点の声を忘れないこと。無理に背伸びをせず、自分の言葉で考え、自分の言葉で区切りをつけること。それだけは続けていきたいと思います。

今日は、言葉の原点にそっと触れる日でした。
静かに、自分の声を確かめるように。

少しだけ呼吸が深くなった気がします。

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