世界保健デーに思う。崩れかけたリズムを整えるということ、無理をしないという選択

「Goods-Bye」からのお知らせ・ラブドール処分屋店主の雑記

今日は世界保健デーです。
健康という言葉は、あまりにも当たり前で、普段は深く意識しないまま過ぎていくことが多いように思います。体調を崩したときや、疲れが抜けないと感じたときに、ようやくその大切さに気づく。そんな繰り返しの中で、少しずつ自分なりの「整え方」を覚えていくのかもしれません。

四月に入って一週間。
新しい環境が始まった人も、そうでない人も、どこか空気が落ち着かない時期です。街の流れが少し変わり、人の歩く速さや会話のトーンにも微妙な違いが混ざっています。大阪の朝も、春の柔らかさの中に、まだ慣れきっていない緊張のようなものが漂っているように感じました。

この時期は、思っている以上に疲れが溜まりやすいものです。
大きな無理をしているわけではなくても、小さな変化が積み重なって、気づかないうちにリズムが崩れていく。寝る時間が少し遅くなったり、食事のタイミングがずれたり、集中力が途切れやすくなったり。どれも些細なことですが、積み重なると身体と気持ちの両方に影響が出てきます。

以前は、そうした変化をあまり気にせず、そのまま押し切ろうとしていた時期もありました。
「まだ大丈夫」と思いながら続けているうちに、ある日急に動けなくなる。そうなると、整え直すのに時間がかかります。だから最近は、崩れきる前に少しずつ戻すことを意識するようになりました。

たとえば、ほんの少し早く寝る。
一度立ち止まって深呼吸をする。
無理に予定を詰め込まない。

どれも大きなことではありませんが、こうした小さな調整が、結果的に自分を守ってくれている気がします。

健康というのは、「何も問題がない状態」というよりも、「崩れかけたものを戻せる状態」なのかもしれません。
完全に整っている日などほとんどなくて、少し崩れては整え、また少し揺れては戻す。その繰り返しの中に、ちょうどいいバランスがあるように思います。

大阪の夕方、風は少し強くなっていました。
桜もところどころで花びらを落とし始めています。満開の華やかさとは違う、静かな終わりの気配。その移ろいを見ていると、「ずっと同じ状態でいなくてもいいのだ」と、どこか安心する気持ちになります。

新生活は、無理をすればいくらでも走り続けることができます。
けれど、それを続けていくためには、途中で立ち止まり、自分の状態を確かめる時間が必要です。整えることは、遅れることではなく、むしろ長く続けるための準備なのだと思います。

今日は、少しだけ意識して体の声に耳を傾けてみました。
いつもよりゆっくりとした呼吸で、少しだけ余白をつくる。

それだけで、明日が少し軽くなるような気がします。

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