今日は、レインボーブリッジが開通した日です。
1993年8月26日、東京港をまたぐレインボーブリッジが開通しました。今では東京を代表する風景のひとつですが、完成する以前には、当然ながらそこに橋はありませんでした。
橋というものを普段じっくり見ることは、あまりありません。
目的地へ向かう途中で渡り、渡り終えればそのまま先へ進んでしまう。道路や駅と同じように、そこにあることが当たり前になっています。
けれど考えてみれば、橋というのは少し不思議な建造物です。
川がある。
海がある。
谷がある。
本来ならそこで道は途切れてしまうはずなのに、人は「向こう側へ行きたい」と考えて橋を架けます。
レインボーブリッジも、芝浦とお台場という離れた場所を結ぶためにつくられました。
今なら車や電車で当たり前のように行き来できますが、橋ができる前と後では、人の流れも街の姿もずいぶん変わったことでしょう。
「つなぐ」ということには、それだけの力があるのだと思います。
人との関係にも、ときどき似たようなことがあります。
ずっと分かり合えないと思っていた人と、何気ない会話をきっかけに距離が縮まる。
疎遠になっていた人から久しぶりに連絡が来る。
昔は理解できなかった誰かの言葉が、何年も経ってから突然分かる。
そんなとき、そこには目には見えない小さな橋が架かったのかもしれません。
ただ、橋は簡単には架かりません。
向こう岸が見えているからといって、すぐに渡れるわけではない。
測量をして、設計をして、土台をつくり、少しずつ橋を延ばしていく。
人間関係も同じなのでしょう。
「分かり合おう」と思っただけで、すべてが分かり合えるわけではありません。
言葉を交わして、時には勘違いをして、少し離れて、また話してみる。
そうした時間を重ねながら、ようやく向こう側へ届くことがあります。
そして、すべての場所に橋を架ける必要もないのだと思います。
世の中には、どうしても考え方が合わない人もいます。
無理につながろうとして、自分まで苦しくなる必要はありません。
橋を架ける場所を選ぶことも、暮らしていく上では大切なのでしょう。
大阪にも、たくさんの橋があります。
川の多い街だけに、少し歩けばいろいろな橋に出会います。「八百八橋」と呼ばれてきた歴史があるほど、橋と大阪の暮らしは深く結びついてきました。
普段は名前さえ意識せず渡っている橋も、その一本がなければ、いつもの道はずいぶん遠回りになります。
そう考えると、人とのつながりも似ています。
普段は意識していなくても、誰かとの短い会話に助けられていたり、昔教えてもらったことが今の自分を支えていたりする。
人は思っている以上に、たくさんの小さな橋を渡りながら暮らしているのかもしれません。
そして、橋がつなぐのは人と人だけではありません。
昔の自分と、今の自分。
やりたかったことと、今できること。
失敗した経験と、そこから学んだこと。
一見すると離れているようなものが、何年か経ってからつながることがあります。
「あの経験は無駄だった」と思っていたことが、ずっと後になって役に立つこともあります。
人生というのは、そうやって後から橋が架かることの連続なのかもしれません。
八月も、もう終わりが見えてきました。
大阪はまだ暑く、昼間に外へ出れば夏が終わる気配などほとんど感じません。
それでも日が暮れる時間は少しずつ早くなっています。
夏と秋の間にも、目には見えない橋が架かり始めているのでしょう。
こちら側からは、まだ向こう岸がはっきり見えないこともあります。
それでも、今まで歩いてきた道が、いつか別の何かにつながることがあります。
だから、何もかも今すぐ意味を見つけなくてもいいのかもしれません。
今日の経験が何につながるのか。
今出会った人と、この先どんな関係になるのか。
それは今の時点では分かりません。
レインボーブリッジが東京湾の景色を変えたように、一本の橋ができるだけで、それまで遠かった場所が急に身近になることがあります。
人の暮らしにも、そんな瞬間があります。
無理に橋を架けようとせず、それでも向こう側に少し興味を持ってみる。
そんな気持ちを忘れずにいたいと思った、八月の終わりです。

