2026年9月7日の日記
今日は「CMソングの日」です。
1951年9月7日、日本で初めてCMソングを使ったラジオCMが放送されたことにちなむ日だそうです。
今ではテレビだけでなく、動画やインターネット、街中のデジタル広告など、いろいろなところから音楽付きの広告が流れてきます。それほど珍しいものではありません。
けれど、「CMソング」という言葉を聞いて最初に思い浮かぶのは、最新の広告よりも、なぜか昔のものだったりします。
何十年も前のCMなのに、最初の一音を聞いただけで続きを歌える。
商品そのものはもう買っていないのに、会社の名前とメロディーだけは覚えている。
考えてみれば、不思議なものです。
昨日、何を買おうと思っていたのかは忘れるのに、子どもの頃にテレビから流れていた数秒の歌は覚えている。
「覚えよう」と思って覚えたわけでもありません。
テストに出るわけでもなく、誰かから暗記するように言われたわけでもない。
ただ毎日のように耳にしていただけです。
それなのに、何十年経っても頭のどこかに残っています。
とくに関西で暮らしていると、昔のローカルCMの話をしたときに妙な盛り上がり方をすることがあります。
メロディーを少し口ずさんだだけで、
「あった、あった」
となる。
全国的に有名だと思い込んでいたものが、実は関西でしか放送されていなかったと後から知ることもあります。
そういうCMは、単なる広告というより、その頃の暮らしの音だったのでしょう。
テレビがついていた居間。
夕飯の匂い。
学校から帰ってきた夕方。
夏休みの昼間。
CMそのものを思い出しているつもりなのに、その周りにあった景色まで一緒についてくることがあります。
音楽には、記憶の扉を開けるようなところがあります。
昔よく聴いていた曲を偶然耳にして、一瞬で当時のことを思い出した経験がある人も多いでしょう。
どこにいたのか。
誰といたのか。
その頃、何を考えていたのか。
普段はすっかり忘れているのに、数秒の音だけで驚くほど鮮明によみがえることがあります。
人間の記憶というものは、よく分かりません。
大切だから絶対に忘れないでおこうと思ったことほど忘れてしまうのに、どうでもよかったはずのことが残っています。
子どもの頃に友達が言った一言。
昔住んでいた家の階段の音。
近所のお店の匂い。
そして、テレビから何度も流れていたCMソング。
何を覚えて、何を忘れるのかを、自分ではあまり選べないのでしょう。
そう考えると、日常というものも少し違って見えてきます。
今日一日は、ごく普通の日です。
朝起きて、仕事をして、ご飯を食べて、夜になれば眠る。
おそらく数年後には、今日何をしていたのか細かく思い出すことはできないでしょう。
けれど、その中の何か一つだけが、妙に長く残る可能性があります。
今日聞いた誰かの言葉かもしれません。
帰り道で見た空かもしれません。
何気なく食べたものの味かもしれません。
その瞬間には、それが思い出になるとは分かりません。
思い出というものは、たいてい後から決まるものなのかもしれません。
九月に入りましたが、大阪はまだ暑い日が続いています。
昼間だけを見れば夏そのものです。
それでも、夕方の光は八月とは少し違います。
少し前まで聞こえていた蝉の声も、いつの間にか少なくなりました。
今年の夏も、やがて「去年の夏」になります。
そして何年か経った頃、今年の夏にあった何気ない出来事を、突然思い出す日が来るのかもしれません。
そう思うと、何でもない一日も少し面白く感じます。
特別な思い出をつくろうと頑張らなくてもいいのでしょう。
記憶に残るものは、こちらが決めなくても勝手に残っていきます。
昔のCMソングのように。
何度も繰り返された何気ない時間が、知らないうちに自分の中へ入り込み、何十年後にもふと顔を出す。
今日という一日の中にも、そんな小さな欠片があるのかもしれません。
CMソングの日。
昔聞いたメロディーを思い出しながら、記憶というものの不思議さについて、少し考えた一日でした。

