2026年9月16日の日記
今日は「オゾン層保護のための国際デー」です。
1987年9月16日、オゾン層を破壊する物質の生産や消費を規制するための「モントリオール議定書」が採択されました。それを記念して、国連が9月16日をオゾン層保護のための国際デーと定めています。
オゾン層という言葉を聞くと、子どもの頃を少し思い出します。
「オゾンホール」という言葉がニュースやテレビ番組で盛んに使われていた時期がありました。地球を取り巻くオゾン層が薄くなり、有害な紫外線が地上へ届きやすくなる。当時はその仕組みを十分理解していたわけではありませんが、「地球を守っているものに穴が開いている」という話だけは妙に印象に残っていました。
考えてみれば、オゾン層を実際に目で見ることはありません。
朝、外へ出て空を見上げても、「今日はオゾン層があるな」と感じることはない。
晴れていれば青空が見え、曇っていれば雲が見える。それよりはるか上空にあるものを意識して暮らすことなど、ほとんどありません。
それでも、そこにある。
そして私たちは、知らないうちにその恩恵を受けています。
そう考えていると、私たちの暮らしは意外なほど「見えないもの」に支えられていることに気づきます。
たとえば、朝起きて蛇口をひねれば水が出ます。
スイッチを押せば電気がつきます。
スーパーへ行けば食べ物が並び、道路には信号があり、電車は毎日のように走っています。
その一つひとつの向こう側には、設備を維持する人がいて、商品を運ぶ人がいて、故障すれば直す人がいます。
けれど、普段その姿を見ることはほとんどありません。
問題なく動いているものほど、存在を意識されない。
それは少し不思議なことです。
反対に、停電したり、水が止まったり、電車が止まったりすると、途端にその存在の大きさに気づきます。
「当たり前」という言葉は、もしかすると「うまく機能しているから、普段は考えなくて済むもの」という意味なのかもしれません。
人との関係にも、似たところがあります。
何気なく交わす挨拶。
困ったときに少し手を貸してくれる人。
いつもと変わらず接してくれる人。
その瞬間には特別なことだと思わなくても、なくなってから初めて、その存在に助けられていたことに気づく場合があります。
大阪の街を歩いていると、本当にたくさんの「見えない仕事」があるのだろうと思います。
朝には道がきれいになっている。
店には商品が届いている。
昨日まで故障していた場所が、いつの間にか直っている。
私たちが眠っている時間にも、どこかで誰かが働いている。
そういうことを一つずつ考えていくと、普通に一日を過ごせるということ自体が、ずいぶん複雑な仕組みの上に成り立っていることが分かります。
オゾン層も、そんな存在の一つなのでしょう。
見えないから、忘れてしまう。
忘れてしまうから、時々思い出す日が必要になる。
「国際デー」というものには、そういう役割もあるのかもしれません。
九月も半ばを過ぎました。
大阪はまだ暑さの残る日もありますが、八月の頃とは明らかに日差しが変わってきました。夕方もずいぶん早くなりました。
夏の間はあれほど避けていた太陽が、もう少しすれば心地よく感じられるようになります。
同じ太陽なのに、季節によって受け止め方が変わる。
それもまた面白いものです。
普段は見えないもの。
意識しないもの。
けれど、確かに自分の暮らしを支えているもの。
今日はオゾン層のことをきっかけに、そんな存在について少し考えました。
何もかもを毎日ありがたがって暮らすのは難しいですし、そこまで意識する必要もないのでしょう。
ただ、ときどき思い出す。
自分の知らないところにも、自分の日常を支えている何かがある。
そう考えるだけで、いつもの景色がほんの少し違って見えるような気がします。
追記
「普段はあまり意識しないけれど、必要になったときに初めて困る」という意味では、処分についても似たところがあります。
当方では、ラブドールの処分についてのご相談を承っています。
ラブドールは一般的な家庭用品とは違い、大きさや重量、素材などの問題から、「いざ手放そうと思ったけれど、どう処分すればいいのか分からない」という方も少なくありません。また、できるだけ家族や周囲の人に知られずに処分したいというご相談もあります。
そうした場合には、まずお気軽にお問い合わせください。
サイズや状態などをお伺いしたうえで、お見積もりや処分方法についてご案内しています。「まだ処分するか決めていない」「とりあえず費用だけ知りたい」という段階でのお問い合わせでも構いません。
人には少し相談しづらいものだからこそ、秘密厳守で、できるだけ安心してご相談いただけるよう対応しています。
いざ必要になったときに、「そういえば相談できるところがあったな」と思い出していただければ幸いです。

