2026年9月28日の日記
今日は「パソコン記念日」です。
1979年9月28日、NECからパーソナルコンピューター「PC-8001」が発売されました。当時としては画期的な製品で、日本におけるパソコン普及の大きなきっかけのひとつになったとされています。
今では「パソコン」という言葉そのものに、少し懐かしさを感じる人もいるかもしれません。
仕事では今も欠かせない道具ですが、日常生活だけならスマートフォン一台で大抵のことができるようになりました。
買い物をする。
銀行の残高を見る。
電車の時間を調べる。
写真を撮る。
音楽を聴く。
遠くにいる人と話す。
分からないことを調べる。
ほんの少し前まで、それぞれに違う道具や場所が必要だったことが、一台の小さな端末で済んでしまいます。
改めて考えると、ものすごい変化です。
パソコンが家庭に入り、インターネットが普及し、携帯電話がスマートフォンになりました。そして今ではAIに質問すれば、調べ物をしたり、文章を考えたり、いろいろな作業を手伝ってもらうことまでできます。
子どもの頃に今の暮らしを見せられたら、未来の世界だと思ったでしょう。
これほど便利になったのだから、私たちは昔よりずっと暇になっていてもよさそうなものです。
ところが、どうでしょう。
「時間が余って仕方がない」という話は、あまり聞きません。
むしろ、
忙しい。
時間がない。
やることが多い。
そんな言葉を以前よりよく耳にするような気さえします。
これは少し不思議です。
昔なら一日かかっていた仕事が、一時間で終わる。
一時間かかっていたことが、十分で終わる。
普通に考えれば、残りの五十分は自由になるはずです。
ところが実際には、その五十分に別の仕事が入ります。
連絡が早くできるようになれば、求められる返事も早くなる。
資料を簡単に作れるようになれば、もっと多くの資料を作るようになる。
調べ物が一瞬でできるようになれば、そのぶん次のことを調べ始める。
便利さによって生まれた時間を、私たちはまた別の何かで埋めているのでしょう。
昔、誰かに連絡するには、その人が家にいる時間を考えて電話をする必要がありました。
相手が留守なら、それで終わり。
また後でかけ直します。
今ならメッセージを送っておけば、いつでも届きます。
とても便利です。
けれど同時に、「いつでも連絡が来る」という暮らしにもなりました。
便利になるということは、できることが増えるということです。
そして、できることが増えると、なぜか「やること」まで増えていきます。
大阪の街を歩いていても、スマートフォンを見ながら歩いている人を本当によく見かけます。
電車を待っている数分。
信号を待っている数十秒。
以前なら何となく空を見たり、人の流れを眺めたりしていた時間にも、画面を見ることができます。
退屈する時間まで、ずいぶん減りました。
それは良いことなのでしょうか。
悪いことなのでしょうか。
私にはよく分かりません。
昔のほうが良かった、と単純に言うつもりもありません。
今さらインターネットのない生活に戻りたいかと聞かれれば、困ります。
地図を持って知らない場所を探すより、スマートフォンで道を調べられるほうがいい。
何日もかけて情報を探すより、すぐに調べられるほうがいい。
便利なものは、やはり便利です。
だから問題は、便利さそのものではないのでしょう。
便利になって生まれた時間を、何で埋めるのか。
そこにあるような気がします。
一時間かかっていた仕事が十分で終わったのなら、残りの五十分を全部また仕事に使わなくてもいい。
十分くらいコーヒーを飲んでもいい。
少し外を歩いてもいい。
何もしない時間にしてもいい。
ところが、これが意外と難しい。
空いた時間を見ると、つい何かを入れたくなります。
パソコン記念日ということで、昔のコンピューターについて少し調べながら、そんなことを考えていました。
1979年から47年。
コンピューターは驚くほど進歩しました。
できることは比べものにならないほど増え、処理速度も速くなりました。
けれど、人間の一日は今も24時間です。
そこだけは昔から変わりません。
機械がどれだけ速くなっても、私たちまで同じ速度で生きる必要はないのでしょう。
便利なものには頼る。
面倒なことは機械に任せる。
そして、そこで生まれた時間まで機械の速度に合わせて埋め尽くさない。
そんな使い方ができれば、便利さというものは、今よりもう少し私たちを楽にしてくれるのかもしれません。
九月も、もう終わりが近づいています。
今年も残り三か月ほどです。
時間が過ぎるのは、本当に早いものです。
だからこそ、何でも速くすることだけではなく、ときには何もしない時間を残しておく。
パソコン記念日の今日は、そんな少し矛盾したことを考えています。
便利になったはずなのに、なぜ忙しいのだろう。
その答えはパソコンの中ではなく、便利になって空いた時間をどう使うかという、私たち自身の側にあるのかもしれません。

