奴隷解放予備宣言の日。自由になるということ、自分の人生を自分で選べるということ

「Goods-Bye」からのお知らせ・ラブドール処分屋店主の雑記

2026年9月22日の日記

今日は、アメリカの歴史に大きな転換をもたらした「奴隷解放予備宣言」が発表された日です。

1862年9月22日、南北戦争のさなか、アメリカ大統領だったエイブラハム・リンカーンは奴隷解放予備宣言を発表しました。そして翌1863年1月1日、奴隷解放宣言が発効します。

もちろん、ひとつの宣言によって、その瞬間からすべての人が平等になったわけではありません。奴隷制をめぐる問題も、その後に続く人種差別の歴史も、そんなに単純なものではありませんでした。

それでも今日は、その歴史を入口にして、「自由」というものについて少し考えてみたいと思います。

自由とは何でしょうか。

こうして言葉にすると、とても大きな話に聞こえます。

けれど私たちは、毎日の暮らしの中で何度も自由を使っています。

朝、何を食べるのか。

今日はどんな服を着るのか。

仕事が終わったらどこへ行くのか。

休日を誰と過ごすのか。

どんな仕事をするのか。

どこで暮らすのか。

もちろん、何もかも好きなように決められるわけではありません。お金や仕事、家族、時間、体力など、現実にはいろいろな制約があります。

それでも、その中で「どうしようかな」と考えることができる。

これは、考えてみればとても大きなことです。

ところが不思議なもので、選択肢があると、人はそれに悩みます。

昼ご飯ひとつでもそうです。

何でも好きなものを選んでいいと言われると、かえって迷ってしまう。

こちらを選んだら、あちらのほうが良かったかもしれない。

何かを買ったあとで、別の商品を見て少し後悔する。

仕事や人生のような大きな選択なら、なおさらです。

この道でよかったのだろうか。

あのとき違う選択をしていたら、今頃どうなっていただろう。

誰でも一度くらいは考えたことがあるのではないでしょうか。

私もあります。

けれど、そうやって迷えるということ自体が、実は自由の一部なのかもしれません。

自分で決めることができるから迷う。

選択肢があるから悩む。

そして、自分で選んだからこそ、ときには後悔もする。

自由という言葉からは、何となく明るく、開放的な印象を受けます。

好きなところへ行ける。

好きなことができる。

誰にも縛られない。

けれど実際の自由は、そんなに気楽なものばかりではないのでしょう。

自分で選べるということは、その結果もある程度は自分で引き受けるということだからです。

誰かが決めてくれれば、うまくいかなかったときに、その人のせいにできます。

自分で決めれば、そうはいきません。

だから自由には、少し面倒なところがあります。

それでも私は、その面倒さを含めて、自分で選べることは大切なのだと思います。

大阪の街を歩いていると、本当にいろいろな人がいます。

会社へ向かう人もいれば、自分で商売をしている人もいる。

学生もいれば、旅行で訪れている人もいる。

昼間から喫茶店でのんびりしている人もいれば、急ぎ足で駅へ向かう人もいます。

それぞれ事情は違います。

同じ一日を過ごしていても、同じ人生を生きている人はいません。

当たり前の光景です。

けれど、長い歴史の中で考えれば、「自分の人生を自分のものとして生きる」ということそのものが、決して当たり前ではなかった時代があります。

奴隷制とは、その根本にあるものを人から奪う制度でした。

どこで暮らすのか。

何をするのか。

家族と一緒にいられるのか。

自分自身の人生について、自分で決めることさえ許されない。

現代を生きる私たちがその重さを本当の意味で想像することは、簡単ではありません。

だからこそ、歴史を知ることには意味があるのでしょう。

普段は考えることもない「当たり前」が、最初から当たり前だったわけではないと気づかせてくれるからです。

九月も後半になりました。

少し前まで、外へ出るだけで嫌になるほど暑かったのに、朝晩にはようやく季節の変化を感じるようになってきました。

季節は選べません。

時間が進むことも止められません。

人生には、自分ではどうにもならないことがたくさんあります。

だからこそ、その中に残されている「選べること」を大切にしてもいいのかもしれません。

今日は何を食べよう。

休日は何をしよう。

これから何を始めよう。

あるいは、何をやめよう。

そんな小さなことでも、自分で考えて決める。

その選択が正しかったかどうかは、すぐには分かりません。

もしかすると、正解そのものがないことのほうが多いのでしょう。

それでも、自分で考え、自分で選ぶ。

そして、違ったと思えばまた選び直す。

自由とは、何でも思い通りになることではなく、そうやって自分の人生について考え続けられることなのかもしれません。

1862年9月22日の奴隷解放予備宣言から、160年以上が経ちました。

歴史の大きな出来事から見れば、今日の私たちが「何を食べよう」「どこへ行こう」と迷っていることなど、とても小さな話です。

けれど、その小さな迷いの中にも、自分で人生を選べるという自由があります。

選べること。

迷えること。

そして、選び直せること。

普段は意識することのないその自由を、今日はほんの少しだけ大切にしてみようと思います。

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